昭和46年3月7日 特別奉修委員



 信心をして長生きをせよと。御理解にございますね。あれはあの、信心をすれば、まあそれこそ、85万でも90万でも100万でもいき、そういう意味じゃないようですね。それは例えば、ええー、なら四神様のように、41歳ぐらいで亡くなられたって言うんですからね。けどもあの、信心して、信心して長生きをせよ。生きたくば信心して長生きをせよと言うことは、例えばあの、そこに一つの運命というものがありましても、その運命をいつも、その、自分の心ひとつでね、信心さして頂くと言うことは、自分の心一つで、ええー、運命を切り開いていくことができるという意味だと思うんですね。
 ね。ですから、あの信心しとっても早死にするじゃないかなんて、そういうこととは意味が違う。ただしあの、信心さして頂いて、あの心の上に、感じさして頂く、その感じ方っていうものが、全然信心のない人、信心の薄い人と違った考え方が出来る。だから、その考え方が出来るところまで、やはり信心を進めとかなければ駄目だということなんですね。なら、困った事が起きりゃあ困ったという顔をしとる。腹の立つことが起きりゃあ、ああもうすぐこう、角が出るといったようなことでは信心しとっても同じ事。
 もう、普通なら角が出るようなところを角が出らんですむとか。普通では悔やむところだろうけども信心頂とるけん悔やまんですむとかっていうね。そこのお繰り合わせと頂かなければ。いわゆる、その、例えばあの今、熊谷さんのお届けを聞かせていただいたんですけれども、昨日一日休まれましてね、今日は(   さん)からお届けがあって、大変こう、吐き気や、こうやっていろいろ具合が悪かった。それで私実は、ひやっとした事があるんですよね。と言うのは、その前の晩に私が、熊谷さんの事で頂いた事があるんですよ。 それが、もういかにもお国替えのような事を頂いとったんです。ところがその、今日、(   の)お話聞かせて頂いたら、熊谷さんもやっぱりお夢を頂かれてから、言わば、あの世行きの汽車に乗らなんところが、乗られんで、乗らんでおかげ頂いたといったようなことなんです。それが、んならあのどういうところからそういう事になってくるかと言うと、休まれた時に、ああどうしたこっちゃろうかとこう思ったが、あのすぐ自分の心の中に思われた事は、ああ、大祭前の修行だなと思うた。だから、ちょっと大祭前の修行になってしもうた。ね。
 例えばそれはもう、修行としてからね、つきなさらにゃんかもしれんもん。なんちゅったってお年がお年なんですからね。けれどもね、そういうふうにね、あの、心のその使い方っていうものがね、感じ方っていうものが信心すれば変わって来る。ああほんとおかげとこう頂けれたり、ね、ああ、ご大祭も近づいてきよるけん、大祭前の修行とこう頂けれる時に、もうぜんかんが修行で受けてくにいたって、もうそこには、もうああほんとに、微妙なことですよね。人間の運命が変わっていくというような事なんかは。ですから、そういうところをね、頂いていけれるという、先程、今、あの、むつやの(   が)参ってからお届けしよった時に地震がありましたよね。あの、地震があった時なんかはもう、大変な神の働きの後ですもんね。そりゃあもう、あの天地が動きなさるということじゃからね、言うならば。
 そのお届けの内容が、もうほんとに、まああんなかよわいいぬとした、大変なことだろうと思うようなことなんですよ。けれども全然私はこれから毎朝、朝にお参りさして頂いて、ここに信心で頂きに来ます、っち言うてから(         )だから言うならあの人の言わば、小さい小天地の上に置いては、もうそれこそ地震のごたる事なんです。言うなら考えてみて。ね。けれどもその、だから、ここで思わなならんことはね、これはまあ、お芝居でどんでん返しということありますね。もう例えば、悪人がはぎこっても、いかにも悪人の世界のごたるけど、いよいよ、ところではぴしゃーっとどんでん返しになって善人の世界になるというようね、完全凶悪なんていう言葉がありますように、そういう芝居がありましょう。
 ね。そういうようなのと同じね、なんです。神様の御演出というのは。ですから、例えば私どもも、もう知っとる限りの教会方と同じような状態であったけれども、ええー、御取次ぎの御用やらさして頂いた時代があります。信者に。けれどもその、ここんごたるふうに、もう、びっくりたまがるごたる言葉じゃないです。ね。もうほんとに、あのおかげ頂きましてから、例えば、具合が悪かったっちゃ病院入院してからこげん退院しましたけんでちゅうお届けだし。もう初めから信心でおかげ頂こうっちゃ思うとらんですね。もう、薬でおかげ頂こうと思っとる。
 ね。そして、ようなったらおかげ頂きましたと言うてお礼に出て来るぐらいな程度なんですよ。今、他の教会あたりでは。ここ方の場合なんかはそれこそ、この玉串の今朝の御理解じゃなかばってん、モリモリ言うごたるお届けばっかりですもん。日に。まあ世の中に難儀な事が多いこと多いなあと、このお届け帳が、神様がねある時6万帳とおっしゃるぐらいじゃった。6万帳じゃいわば。巡りの深い人達が集まってきて、それこそここに届けられるっていうな、もうほんに、私も一緒にかせして頂きたいごたるようなお届けがあるです。ところがそういうお届けがあればあるほどですたいね、あの、やはり有り難いことなんですね。いわゆる、ここに力がある、御比礼があるそれこそ合楽様としての、ね、今朝の御理解から言うとその発揮が出来るほどしだから神様がどうにも出来んところをこっちができなさるとですよ。
 文男先生がある時あの、もうとにかくこげなん病人ばっかりじゃかまいませんと、どうかもう、簡単で金を儲ける、儲かる病人がね、さぞ多かごたるふうにお願いします。って言うから、あんた馬鹿じゃんの、こうこげん言いました。ほんな今今初めとってから、あんた、そげなん、そのよそが助からんちゅうごたるとば連れて来て頂くちゅうとが有り難い。それで死んだっちゃそれまでばってん、それが前に助かってなさい、はあもう先生のおかげでよそが助からんとこが助かったちゅうごとなるよ。
 それこそですね、父から、ほんとに分らんごたるとでも、そういうふうなお届けして十何年なりましょうけれどね。まあ、いっこう、変わりばいがしませんけれども、んなら、あそこではまだ、死んだ者がおらんっちゅうのが、ぐらいなおかげいただいとるでしょうが。おかげ頂きますもんね。ですからね、あの、もう大変な事の時ほどですね、実はおかげなのですから、それをすぐ、即おかげと頂く、ほんなことなのですよ。それを、大変なことだと、もう、神様には出きんごと思うてから自分で心配したり、苦労したりする。 そこに、運命が変わると。それこそ、(     )とにかく神が与えた寿命を頂ききる氏子が少ないとおっしゃるのですから。自分で言うならちょっと(    )くるような場合もあるんですよ。ね。有り難く受けなならんことを腹を立てて受けたり、情けないで受けたりするところに、運命が縮まっていくわけです。ね。ですから、それをです、ほんとに例えば、熊谷さんじゃないけどね、本当に、こちらが頂かれたがあたしが頂かんように、それはもう、死に際になるとかもしれんったい。ところが、こちらの受け方が、ははあ、ご大祭近づきよる。こりゃ大祭の修行ばいな。とこう頂くところにね、大祭の修行になっとるわけですよ。もう、運命がある。死ななければならないはずが、また生き伸ばしのおかげになってくる。
 どこに、私どもが、隙がないとは限りませんから、ほんとに大変なことを頂き漏らしてですね、運命がそこからピシャッと反対の方へ変わっていくようなことのないようなおかげいただかなきゃならんですね。どうぞ。